書きます
さて、前回の記事で言っていたことを書こうと思います。
なお時間は空いておりますが文の推敲や考えはまとまっておりません。
最初に言い逃れ、いいわけとして記しておきますがまとまりのない文で読みにくいことになると思います。ご了承ください。
さて、何について書くのかですが
「悪い日本人じゃなくてよかったね」
というコメントをウェブ上で見たことについてふと考えたことです。
そのコメントが書かれていた経緯として、まずそのコメントが書かれていた記事が
- 財布を落とし、日本人の方に拾っていただいて、なにも取られていなくて感謝している
こういった投稿があったわけです。
この投稿にたいして上記のコメントがあったわけです。(コメント全体の一部抜粋です。)
さて、では挙げていた項目で考えていきます。(なんだっけ・・・)
表現について
さて、表現と聞いてみなさんはどう考えるでしょうか。
私は「日本人」という言葉について着目して考えました。
人、ではなく日本人という特定をしています。私には、前提として「日本人は財布からお金を抜き取る」このようなイメージを持ってしまったわけです。もちろんそれは必ずしもそうであるとは思いません。
もしかしたらそのコメントを書いた方、もしくは財布を落とした方が以前日本人からそのような経験をしたため、「今回は良い人でよかったね」という意味合いで使ったのかもしれません。
真実はどちらかはわかりませんが、ひとくくりにすることで当事者の思う解釈がされないことがあるのが分かります。
仮にここが「外国人」だと考えます。これを読んでいる方は日本人が多いと思いますが、「悪い外国人じゃなくてよかったね」こんな表記を見た時どう思うでしょうか。
ちなみに、財布を無くされた方は日本人ではありませんでした。日本在住ですが、日本に住んでいれば良かったことも悪かったこともあるでしょう。
良い面、悪い面、印象の強さとして後者の方が記憶に残りやすいかもしれませんが、「日本人」としてこのようにくくられるとなんとも言えないですね。(ちなみにコメントを書かれて方は日本人です)
ひとくくりにすることによる考え方
表現でも触れてますね。どれだけ考えて書いていないかが分かります。
「最近の若いもんはやる気が感じられない」と言ったように一部の人の印象が強く、それを適用される範囲の人全体に対して似たような感情を持った時に言われることが多いのではないでしょうか。
この考え方、ひとくくりにされる側になる方は嫌な気分になるでしょう。
「私は違う」「そんなのと一緒にしないでほしい」この様に思うわけです。
これをいくら説明しようとしてもなかなか考えは変わりません。言った人はその印象が強く残っているため、そういった発言をするからです。もちろん、印象を帰ることは不可能ではありません。自分は違う!というのを証明するならばその姿勢を行動で示せばわかってもらえるかもしれませんが、全体としての印象が変わるかはまた別の問題ではないでしょうか。
じゃあどうするの?
どうしましょう。私はなにを考えていたのでしょうか。分かりません。
これはどうこうすべきであるとかそう思って書こうと思ったわけではなく、ただそういうものが見えたからこう思った、というだけであるためどうしようとも考えていません。あえていうなら・・・私自身が使わないように心がける、といったところでしょうか。
自分が嫌なことはしない、というキレイ事にも聞こえますがこれが実際私にできることです。廃絶するようなことはできません
はい。
所感
(所感ってここにきてなにすればいいんだよ・・・)
ひとまず、コメントを見て「え・・?」と思ったことがきっかけです。最初に書こうと思っていたことを書けているかも分かりません。
まとめ
ここにきて・・・。
まとめもクソもありません。感想、ですね。たまたま私の置かれている環境で外国人の方と触れる機会が多いため敏感になってしまったと思うのですが、みなさんはどう思いますか?どうも思いませんでしたか?そうですか。